2006/2
札幌市青少年スポーツ交流団訪問記
主任調査員 金 丹実
8月24日夜、大小の旅行かばんと様々な色のラケットを抱え、16名の日本の中学生、札幌市観光体育局と教師が北京首都空港に降り立ちました。彼らは札幌市と瀋陽との友好提携15年周年を記念して派遣された国際スポーツ交流団であり、団員は札幌市中学生体育連盟男子バトミントン選手16名です。札幌市からのCLAIR北京事務所に対する要望は、多くのオリンピック選手を育てるため、北京のバトミントンの名門である刹海?余体校で2日間の合宿を行つとともに、その合宿に同校のバトミントン部員を招くことでした。しかし、目の前の少年たちは身長の高い子もいれば低い子もいる、活発な子もいればおとなしい子もいる、私はひそかに今回の試みは失敗だったのではないかと思っていました。しかし、実際に彼らと触れ合ってみると、そんな心配はあっさりかき消されました。彼らの性格が形のない垣根をぬぐいさり、中国との直の接触を実現できたことは、今でも忘れられません。
日本からのスポーツ団の指導者は粘り強く進取な人物と賞賛できます。バトミントンは、刹海?余体校の重点スポーツです。この学校のメンバーで、北京地区の大会のほぼすべてのメダルを独占します。今回秦皇島で開催される全国バトミントン大会に、この学校からは女性9名を含む16名が出場します。練習試合では、日中双方、実力を考慮した者同士で行われましたが、中方は落ち着いて試合に望み、日方は消極的な試合運びに見えましたが、攻める機会をうかがっていました。非常によく鍛えられており、実力差は非常に大きいどころか、ほとんどないと言ってもいいでしょう。
その後、試合は、日中混合ダブルスへ移行しました。中方は力強く、どこに球が飛んでくるのか分かっているように見え、日方は命がけに見え、両者とも高確率で球を拾いました。しかしもちろんミスや身体の接触は避けられず、日方のキャプテンである岩川君は、サービスチェンジの合間に、私のところに走ってきて、“すいません”は日本語でどういうのですかと尋ねるシーンもありました。
8月26日午後の体力訓練においては、すべての選手がお互いに信じあえることを深く心に刻むことができたと思います。選手は、4人づつ8組にわかれ、各組は日中双方2名づつで構成されます。“監督の号令に従って1回5往復の10メートル走”が開始されました。チームという連帯感が彼らに練習に全力で取り組ませ、ゴールにたどり着いたときは、互いに手のひらをたたき合い、歓呼していました。この練習を過酷だと考えた者はひとりもいないでしょう。“スタートラインに戻るのが遅れた者は腕立て伏せ”このようなことを5〜6回繰り返した後、彼らは皆大粒の汗を流していました。監督は顔を紅潮させ、選手の笑い顔も消えていきました。足のつっている者もいました。“次のターンで1番の組は練習を終了する”新しい指令がでた時、一瞬の歓喜にまじって小さな声の日本語が聞こえてきました。“私は今日死ぬ。”日本は平等と弱者を守ることを重要視します。たとえ、一般的な競争であっても時には非難を招きます。それゆえ、学校の運動会で皆が手を差し伸べてゴールまで走るという奇妙な現象も日本では見ることができます。今日遅れて災難にあったチームは、このような熾烈な競争の原則が日本の学生に更なる身体的及び精神的な鍛錬を求めていることを理解できたと思います。
夜の親睦会は8人1組の2グループに分かれて行われました。この夜、ずっと恥ずかしがって言葉少なだった参加者双方は漢字、英語、身振り手振りそして絵を用いて意見交換を行い、笑い声が絶えませんでした。監督が声高らかに歌うと一同は最高に盛りあがり、それは、私が最近見た中で最も美しい光景でした。
その後、王府井で買い物をしてまわり、岩川君はあわててたくさんの記念品を買っていましたが、彼は毎日出会う中国の友人達全員にちょっとした贈り物をしていたそうです。1日目、空港に出迎えに行ったときバスの中で彼が「反日デモをやって結局何になった?」といってました。彼は既に自分自身でその答えを見つけてたでしょう。北京を離れる前の夜、彼は切に世界チャンピオンのゆりかご刹海?余体校への留学を希望していることを打ち明けました。
札幌の中学生との別れの晩、私は祝いの言葉をかけた。「皆さんがプロプレーヤーになりますよう願ってます。」思いもかけない彼らの答えは、「いいえ。プロプレーヤーの命は短すぎます。」と。ある人は補足して、「だけど、オリンピックに出るのは私の夢です。」こんなに貴重な時間を苦しいバドミントンの練習につぎ込むのはどうしてだろう。彼らの答えはみな同じでした。「バドミントンは喜びの汗をもたらしてくれるし、学び取ることは強い喜びに変わる。また、勝利の味も味わうことができる。」青少年における競技スポーツの意義は結局どこにあるのだろう?結局金メダルを取る成功者は極めてまれです。私は、中国の体育学校でブランド名獲得予備軍には同様の問題は提起することはしませんが。
このほか、日本側トレーナーが選手たちに対して接する態度も深く印象に残りました。ある選手によると、夜中にトレーナーの部屋のドアをたたき隣の部屋がうるさくて眠れないと訴えると、トレーナーは彼を一括した。「札幌を出て以来、一分一秒が集団訓練なんだ。眠るときも同じだ。他人がお前に合わせることなどできない。お前がどう眠るかを学び取れ。」また、札幌の中学生たちの金銭感覚もなかなか味わい深いです。中国国内で5000円の価値が日本のそれに比べ高いと分かるや、彼らはすぐにどうすれば最大限に使うことができるか勘定した。ずっと、もったいなくて大きなお金を使えずにいた何人かの生徒も、ついには運動用品店で買ったのは結局、大きなもの(ブランド物のバドミントンラケット)だった。理由は、日本ではその何倍もの値がするからだ。中国で憂いもなく心配もない一人娘が海外でこんな行動ができるなんて。
日中両国の青少年が短い数日で汗水流し、喜び歌い、冗談を言い合い、まさに日中交流の絵画は、私の2005年夏の最高の思い出になりました。

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