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自治体関係者の中国での活躍に対する支援及び
中国と日本の自治体間の交流や協力を推進しています。

 
活動内容 >> JETプログラムの推進


JETプログラム経験者の活躍の様子
    01 - 雲憲輝   02 - 陳一昊   03 - 段海紅   04 - 謝 媛   05 - 金香梅   06 - 邱筱燕


[参加者01]  雲憲輝(島根県 2003年 - 2004年)
 

   JET参加者の皆さん、こんにちは!
   2003年度島根県国際交流員の雲憲輝と申します。今は吉林省政府外事弁公室アジア処で日本との交流を担当しております。

   島根県庁の国際課で働いた一年間の経験は私にとって人生の大きな財産です。代表団の受け入れ、訪中団の随行、通訳翻訳作業、学校訪問、情報誌編集、中間研修、日本語通信教育などを通じて、日本語能力が上達しただけではなく、日本の生活風土、伝統文化を体験し、日本の行政体制、公務員の仕事のやり方、島根県の産業状況、観光スポットなどについて、理解が深まり、多くの方と友達になりました。特に島根県の人々の優しさはとても印象に残っています。島根県を二番目の故郷のように思っております。

   帰国してから、日本担当として、たびたび日本に出張したり、日本からの訪問団を受け入れたりしております。JET事業から得た経験を仕事に活用できること、さらに二番目の故郷に里帰りする度に、旧友に会えることがとても楽しいものです。

   吉林省は1987年に宮城県と友好関係、1994年に島根県、鳥取県と、1998年に新潟県、秋田県と友好交流関係を結びました。これらの地域とは行政、経済、文化、教育、体育、人材、青少年など幅広い分野に渡り、交流と協力を行っております。今年は島根県、鳥取県、それに韓国の江原道とそれぞれ友好交流に関する覚書を調印してから15周年という節目の年に当たり、吉林省でグルメ祭り、歌舞演出、青少年卓球大会、公務員サッカー親善試合など多彩な記念イベントを企画しましたが、国際的な金融危機の中、全て実施できるかどうか心配です。皆様からの積極的なご支援、ご協力を頂きますよう、宜しくお願い致します。

   3月20日にはCLAIR北京事務所による吉林省内の元国際交流員交流会が開催されました。久しぶりに皆さんに会って、意見交換をしたことがとても楽しかったです。この場をお借りして、交流会を主催していただいた緒方俊則所長を始めとする北京事務所の方々に感謝を申し上げます。

   皆さんは今いかがお過ごしでしょうか、これからは電話なり、メールなりでよく連絡しましょう。皆さんのご健勝とご活躍を心から祈念致します。

 


[参加者02] 陳一昊 (島根県 2006年 - 2008年)
 

   「光陰矢の如し」、中国人が歳月の経つことが早いと感嘆するときによく言うことわざです。私にとって島根県で国際交流員の仕事としての2年間は一瞬の夢のようでした。

   3年前、私はまだ大学を卒業したばかりで、海外の仕事は「はじめて」だらけでした。まったく新しい仕事に挑戦しながら、国際交流イベント、学校訪問、料理教室、翻訳と通訳、公民館での講演など、とても充実し、肌で感じる国際交流事業に携わってきました。島根県訪中団に2回ほど随行し中国を訪問する機会がありましたが、自分の故郷を代表団に紹介することができて、大変誇りに思っています。楽しいこと、辛いこと、それぞれありましたが、同僚たちの暖かい支援と心暖かい島根県民のみなさんのおかげで無事に終わることができました。その感謝の言葉はとても言い尽くせません。私は一年間浜田で、一年間松江で過ごして本当に島根が好きになりました。また、以前留学した東京で体験した日本とは全く違う日本を発見できました。青い海、雲がかかる山、緑の自然、伝統舞踊や芸術、日本全国に知られた歴史や神話など・・・。私は皆さんに中国のいろいろなことを紹介すると同時に、島根県の美しい風景と日本人のやさしさを中国の友達に伝えました。

   現在は、私は中国農業科技東北創新センターというところで、日本との農業に関する仕事をしています。もちろん島根で肌で感じた日本を中国の人に紹介しております。

   最後にもう一度、本当にお世話になりました。ありがとうございました。島根の皆様、また逢う日までお元気で!

 


[参加者03] 段海紅 (1998年−1999年鹿児島県派遣。現在、江蘇省外事弁公室副処長)
 
   国際交流は相互理解から

      8月26日、「第8回日中地域間交流推進セミナー」が当省の揚州市で開催されました。その前日、帰国したJET経験者の交流の場が、クレア北京事務所によって設けられました。クレア本部の上田専務理事、在上海日本総領事館の横井総領事を始め、関係者の方々が交流会に出席し、参加者と親しく交流することができました。

   私は、この交流会に参加して、国際交流員時代の懐かしい思い出が蘇ってきました。また、JET時代の同期生と出会えたことにも驚き、そして嬉しく思いました。隣に座り合っていたのですが、名簿を見るまでは10年前に一緒に北京から出発したことを全く思いだすことができませんでした。10年といえばひとつの時代となります。JETプログラムをこうして長い間継続することは、本当に容易なことではありません。

   思えば、私がJETプログラムに参加したのは1998年でした。当時、社会人になったばかりで、仕事の経験も浅く、不安と新しい生活への憧れの中で、鹿児島での生活を始めました。

   1年は、決して長いとは言えません。しかし、この1年で得たものは、簡単に時間の長短だけで判断することはできません。鹿児島県庁の国際交流課の同僚たちが本当に私のことを身内のように暖かく見守ってくれました。お蔭で仕事も順調に進めることができました。通訳を担当したり、県内の学校を訪問したり、中国語教室や料理教室を開いたり、情報誌を編集したり、イベントを企画したりして、緊張と新鮮さのなかで、知らず知らずのうちに1年が過ぎ去りました。両親には申し訳ないのですが、ホームシックになったことは殆どありませんでした。

   この1年の生活を通じて得たものといえば、言葉はもちろんのこと、それより重要なのは、相手国の風土と人情や、人々の考え方に対する理解でした。同時に、文化の紹介を通じて、自国の文化を再認識することもできました。

<「地方対話」分科会の会議の様子>

   ここ数年、私の後輩が相次いでJETプログラムに参加し戻ってきました。先輩として、彼らの成長ぶりを見るとすごく嬉しかったです。JETプログラムは、多くの人たちに支えられ、賞賛もされていますが、JETに参加することの意味は一体何でしょうか。敢えて一言で言えば、異文化に対する理解が深まることではないでしょうか。特に私たちのような国際交流に携わる者にとっては、JETプログラムは交流の絆を結ぶ貴重な機会となりますが、交流は意思疎通から始まり、そして意思疎通の前提となるのは相互理解です。私は、外事弁公室で日本との交流事業を担当して十数年経ちましたが、何より相互理解の重要さを痛感しております。

   2005年の夏、家族の初めての海外旅行として、私は、鹿児島への里帰りの旅を選びました。去年、話題のテレビドラマ「篤姫」を見て、もう一度桜島への熱い思いが呼び起こされました。鹿児島での生活は本当に懐かしい思い出でいっぱいでした。この場をお借りして、JETプログラムに、そして鹿児島の人々に対して感謝を申し上げたいと思います。

 


[参加者04] 謝 媛 (2008年−2009年山口県下関市派遣。現在、青島市外事弁公室勤務)
  
   中日の違いを尊重し共同発展を図ろう

   この度、8月25日から27日にかけて、美しい風景を有する江蘇省揚州市で開催された、クレア北京事務所主催の「第8回日中地域間交流推進セミナー」に参加してきました。初日である25日に開催された「JET経験者意見交換会」では先輩の方々の話を聞くことができ、とても勉強になりました。今年の4月9日に帰国して早くも半年が経ちましたが、JET参加者としての1年間を振り返ってみると、感動と幸せで一杯です。

   私は2008年4月から今年の4月まで、山口県下関市国際課で国際交流員として勤務しました。長いようで短かった1年でしたが、充実した楽しい時間を過ごすことができました。

   下関市は本州の最西端に位置し、古くから大陸への窓口としての役割を果たし、中国や韓国との交流が盛んに行われてきました。1979年10月に青島市と友好都市関係を締結しましたが、その後両市は行政部門の交流をはじめ、経済、文化、教育、スポーツ、福祉、青少年、高齢者などの分野において効果的な交流を展開してきました。両市の友好関係は間もなく30周年を迎えますが、友好交流の歴史が私の生まれる前から続いていることに、いつも驚きと感動を覚えています。

   下関に行って一番強く感じたのが人の温かさです。私の着任したニュースが新聞で報道されてからは頻繁に声を掛けていただきました。「生活には慣れてきましたか?」「頑張ってくださいよ!」と近所の方々から毎日励まされ、感動と共にたくさんの勇気をいただきました。また、両市の30年に及ぶ友好交流の歴史を勉強するため、私は下関市内で青島市と友好交流活動を行っている施設を全て訪問しました。学校、病院、新聞社、福祉施設等、どこに行っても親切に対応され、資料をたくさん用意していただき、熱心に色々と教えていただきました。下関市民の優しさや、中日友好に対して30年もの間積み重ねられてきた熱い感情を肌で感じてきました。

   仕事内容としては、日常の翻訳、通訳、訪問団への随行のほか、中国語講座、中国文化講座を行い、さらに、学校、公民館等での出前講座を28回行いました。特に、講座についてですが、市民の皆さんは中国に深い興味を持っており、積極的に申し込んでいただきましたが、毎回定員を超え、抽選で受講者を決定していました。その熱心さに感動しながら、私は毎回授業の内容を一生懸命準備し、時事に合わせた「青島特集」「オリンピック特集」「お正月特集」「中華料理特集」などを作り、中国人の生活のあらゆる部分を紹介しました。また、写真や音声資料をたくさん使い、北京オリンピックの主題歌であった「我和你」や「北国之春」、「甜蜜蜜」などの中国語の歌を教え、皆さんと一緒に楽しく勉強しました。授業には子供から年配の方まで欠かさず参加されましたし、毎回とても盛り上がりました。現在、当時の受講生がビジネス、観光、そして留学のために青島に来られていますが、自分がその方たちに中国文化を伝える最初の窓口になったことを考えると胸が熱くなり幸せな気持ちで一杯です。

   これまで2年間、対日友好交流の仕事に従事してきましたが、下関に行ってから初めて30年間の友好交流の深さ、重さと大切さを一層深く実感し、30周年の重大な意義と両市これからの友好交流の重要性について再認識しました。いくら「国際交流」と言っても、実際に現地に行ってみないと分からないことがあります。国際交流の重い責任を担う私たちは、よく「架け橋」の役割と言われますが、単に日本語が分かり、媒介者となって双方の交流を円滑にすることに止まりません。国際交流の主体は「人」、一番肝心なことも「人」です。お互いに理解し合い、補い合い、助け合い、共同で「互恵発展」を図るのが理想の境地です。そのために中日双方の状況に詳しい、お互いの考え方を理解できる私たちが、JETの貴重な経験を生かし、共同発展を推進するべきなのです。

<「地方対話」分科会の会議の様子>

   日本に赴任する前に、北京で開催されたオリエンテーションで、日本国大使館の道上尚史公使(当時)が、「中日両国は違って当たり前である」という大切なことを教えてくださいました。中国と日本は国の状況、文化、生活習慣など何もかも違っていることはもちろんですが、その違いを十分に尊重することを前提として、双方の「共同発展」を図るべきだと思います。

   現在、私は下関との友情の絆を心に刻んで青島市外事弁公室に戻り、対日友好交流の窓口として勤めています。翻訳、通訳などの業務に限らず、友好都市との連絡、調整、イベントの計画と実施、国際会議の事務手配などの仕事で充実した毎日を送っております。今でも中国語講座受講生の皆さんと文通を続けていますし、10月にまた30周年の記念イベントで下関市に行きます。人生も仕事も新人の私はこれからも力を尽くし、中日友好交流の本当の意味の「架け橋」になるために一生懸命努力していきたいと思っております。

 


[参加者05] 金香梅 (2004年−2005年宮崎県派遣。現在、重慶大学外国語学院勤務)
  
マスメディアの活用による日中相互理解の推進

   2005年に日本から帰国して、早や5年が過ぎました。時が経つのは本当に早いものです。

   私は日本へ行って、日本の街の清潔さ、整備された公共施設などが心に刻み込まれるとともに、日本人のまじめな仕事ぶり、規則を厳守する態度などに深く感心させられました。

   私が日本にいる間、度々小学校を訪問し、中国のことを紹介しました。授業中に、まず「中国と言えば、何を思い付きますか?」と聞くと、「キムチ」と答える小学生がいて、この時は少し寂しい思いがしました。丁度この時期、韓国ドラマ『冬のソナタ』の影響で日本中が韓国ブームになっていて、会話にもよく「ヨン様」という言葉が出てきました。日韓両国は竹島問題といった政治的な問題を抱えていたものの、『冬のソナタ』を通して、韓国への日本国民の関心は日々高まっていました。

   中国にも、人々の心を打つドラマや映画が数多くあります。しかしながら、実際のところ、日本では中国に関する紹介さえも少なく、本当に残念だと思います。今後、多くの中国の優れた映像作品が日本で見られるようになり、日本人の話題になり、より多くの日本人に中国をもっと知ってもらえることを待ち望んでいます

   一方、中国では『おしん』や『渡る世間は鬼ばかり』などの優れた日本のテレビドラマや、『走進日本』などの日本を紹介するドキュメンタリー番組が放映されています。これらの番組により、性格が優しく、マナーが良く、勤勉でまじめに仕事をし、チームワークがあるといった日本人の良い印象が中国人に与えられています。しかしながら、このような作品の絶対数はそれほど多くなく、種類も豊富とはいえません。今後、さらに多くの日本の優れた映像作品や、日本を紹介する番組を鑑賞できるようになることを期待しています。

<日本の満開の桜の下で>

   日本語を勉強しているためでしょうか、私は日中関係に深い関心を持っています。両国関係がギクシャクしたときは、胸が痛くなりましたが、近年は関係が好転し、「暖春を迎える」といった記事を読んだ時などは、
非常に嬉しく感じたことは言うまでもありません。

   情報時代である今日、色々な報道が素早く、かつ広範に伝達されています。両国の国民相互の信頼を深め、友好関係をさらに推進するためには、マスメディアが非常に重要な役割を果たしています。両国のマスメディアは互いの情報を公正に、的確に、かつ客観的に報道し、互いの優れた所、良い経験等を積極的に紹介し、双方の相互理解の増進を図るべきではないでしょうか。そして、日中交流の現場で働いている私たちは、様々な困難を克服し、双方の信頼のある交流を促し、両国の友好関係を発展させるために、人一倍努力すべきだと思います。

 

 


[参加者06] 邱筱燕 (2009年度長崎県佐世保市派遣 。現在、福建省外事公室勤務
 
シェーシェー 佐世保

   福建省の邱と申します。2009年4月から2010年4月まで、長崎県の佐世保市で国際交流員として仕事をさせていただきました。JET参加者としての1年間を振り返ってみますと、「ありがとう」の言葉だけでは言い尽くせない気持ちでいっぱいです。佐世保に着いた当初のことが昨日のことのように思い出されます。1日目の朝礼は今でも記憶に残っています。「どうがん」「いかす」「おらさん」など方言が飛び交い、正直涙ぐんでしまいました。標準語しか使えない私とって、意味が全く分からなかったのです。しかし、時間の経過とともに私もすっかり佐世保弁に馴染み、東京からの出張帰りの乗った福岡からの佐世保行きバスで「やぐらしか」という方言を耳にし、自分でも驚くほど、落ちついた気持ちになれました。ひょっとしたら、これがまさに里帰りの気持ちではないでしょうか。

   仕事では何度も日本に参りましたが、こうして姉妹都市(長崎県)をつぶさに見ることができたのは、このJETプログラムのおかげであると思います。ルース・ベネティクトは「菊と刀」の中で、すべての民族には生活を観察する1枚のレンズがあり、1つの民族の焦点距離と透視法は、その民族に1種の国民全体の人生観を獲得させ、このレンズを通して見る景色は、神様が手配したものだと言っています。1年間、私は神様が日本に翳すレンズを長崎で探してみようと思い、じっくりと日本・長崎・佐世保と触れあってきました。

   温かい家族のような職場と、やりがいのある仕事に恵まれ、大変充実した1年間でした。仕事の面でも生活の面でも、皆様に全面的に支えていただき、1年間皆様の熱心なご指導ご支持のおかげで、無事に仕事をやり遂げることができたことを心から感謝しております。佐世保の豊かな自然、温かい人情を日々感じるとともに、日本に関する様々な勉強と体験ができました。また、今まであまり気付かなかった中国の誇りや改善点などを発見することもできました。国際交流活動を通じて、心が豊かになり、少し成長できたような気がします。

   まず何よりも、日本の行政機関の一員として日本の仕事のスタイルを学び、行政システムに触れ、国際交流の現場に携われたこと、そして微力ながらも自分なりに貢献することができ非常に勉強になりました。佐世保が実施する活発な海外交流のおかげで、仕事は主に中国人訪日者の対応、中国向けプロモーションのサポートでした。翻訳、通訳そして事前調整や打ち合わせ、プロモーションの段取り、司会の台本や席順作りなどに協力させていただき、言葉の問題だけでなく、思考回路、仕事のスタイル、価値観、判断や評価の基準などの違いも分かるようになり、オリエンテーションで教えていただいた『報連相』についてもよく理解できました。

   また、市職員向けの中国語講座や、市民団体、公民館、学校からの依頼を受け出前講座を実施したほか、各地の日中親善協議会でスピーチを行いました。そこでは、福建省のことや文化の違いについて、「福建さるく」「お茶の郷」「旧正月の過ごし方」「ニーハオとこんにちは」、「中日礼儀の違い」を取り上げて話をし、多くの熱心な市民たちにご参加いただきました。このように恵まれた交流の場で、自分の国の文化を紹介することでお互いの距離を縮めることができ、やりがいを感じることができました。海外生活があったからこそ、自国の文化や風習に人一倍興味が湧き、大切にしようと思う様にもなりました。

   さらに、日本では勉強の機会も多くいただきました。日本国自治体国際化協会の中間研修や翻訳通訳研修をはじめ、留学生と一緒に環境学習に参加したほか、佐世保情報プラザ、ジャパネットたかた、佐世保東部クリーンセンタ、ハウステンボスの環境施設などへの視察もあり、様々な分野に触れることができたことをうれしく思います。その他、青年会議所の国際セミナーやお茶会、牡蠣食う牡蠣祭り、ヨサコイ、きらきらフェスティバル、夏の花火大会などに参加し、日本文化と触れあい、貴重な経験になりました。これらは市民たちと身近に接し、地域のコミュニティに関わるとてもいいチャンスだったと思います。スーツを着て通訳するよりも、方言を覚えたり、PPTを作ったり、話を交わしたり、汗を流したりすることで、ずっと身近に国際化というものを感じることができました。

   そして、ただ一度の出前講座の付き合いで、3月の下旬に黒髪公民館の皆様方が送別会を催してくださいました。一緒に餃子を作り、お別れの歌を歌っていただき、感動を覚えました。

   あらゆる業務を体験させていただき、多くの人と話を交わす機会に恵まれ、そうした経験から中日における国際交流の違いを垣間見ることができました。国際交流員の勤務経験は宝物となるに違いないと信じております。

   現在は、日本の皆様にお別れを告げ、1年間通い慣れた職場、住み慣れたアパートを離れ中国の職場に復帰をしておりますが、今も時々、佐世保の青空や道端に彩りを添えている花々を懐かしく思い出します。JETの経験や佐世保での貴重な体験を、私は生涯忘れないでしょう。この場をお借りして、関係者の皆様に心からお礼を申し上げますとともに、佐世保市のご発展をお祈り申し上げます。

 

 

 

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